一緒に過ごしてきた仲間との別れは寂しいものですが、去っていく立場の人よりも残された側の立場の人の方が実は辛いような気がします。
人との別れの機会は様々です。例えば仕事、恋愛、卒業、そして死別。
去っていく決断をした人ももちろん寂しいのかもしれませんが、残された人たちの方が寂しい気持ちは強いものだと自分で経験したりその光景を見てきて感じます。
そこで今回は、去られる側の人、残される人、置いていかれる人、見送る立場の人々の方がより寂しく感じてしまう心理について考察してみました。
『オードリーのオールナイトニッポン』のある話題から
豆腐メンタルのとふめんです。(@tohumen090031)
今回の「見送るの方が寂しくなる心理」のきっかけは、9月4日放送『オードリーのオールナイトニッポン』にてこんな話題が出たことがきっかけでした。
▼ラジオ中の一コマ
春日「はいはい」
~~~~~~~~~中略~~~~~~~~~~
若林「俺そしたら、ちょっと耐えられないかもしれないわ」
春日「うん、何にですか?」
若林「これから初回から(番組を一緒に)やってたメンバーが何年かして卒業していくのを何人も見送ることになるってこと?」
春日「まぁなるだろうね。なるんじゃないかい?」
若林「あー耐えられないから俺が先に辞めようかなと思って」
春日「(笑)、見送られたい?見送られる側に回るってこと?
嫌だよなんでおじさん見送らなきゃいけないんだよ」
アイドルは寿命が短い仕事のため、長く活動できる芸人よりも先に辞めていくことになる。
ということは必然的に、日向坂の番組で司会を務めるオードリーの2人は、一緒に仕事をしてきた仲間を今後沢山見送ることになる。
「見送るのがツラいから、じゃあ自分が先に辞めたらいいね」というオチのやりとりでしたが、ラジオを聴いていて「自分が先に辞めれば良い」という考え方はなんだかすごく納得してしまいました。
死別で悲しむのは残された人だけ
「見送る側の方がツラい」ということに関して、ラジオを聴きながら似た感情を思い出した最近の出来事。
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葬儀の場に出席する機会があった時のこと。
葬儀の後、遺体は火葬場まで出棺されて焼かれることになります。
火葬場は亡くなった人の顔が見られる最後の機会です。
告別室で棺の窓を開けて顔を見た後、棺が火葬炉へ静かに送られていきます。
スタッフの「お別れでございます」の合図で扉が閉まり、本当に最後のお別れとなります。すると遺族の一人が泣き崩れてしまいました。
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実際、火葬場は一度落ち着いていた感情が再び沸き起こる場所でもあり、取り乱してしまう人は多いようです。
当然ですが死者は何も語りませんし、感情も無です。悲しみや寂しさに覆われるのは残された立場の人たちのみです。
例えば仕事を退職する場合においても、恋愛などで誰かとの別れを告げるときにおいても、去っていく人は意外と冷静です。
様々な状況において見送る人、残された立場の人の方が寂しい想いをする傾向にあります。
そんなツラくなる状況を回避する手段が「自分が去っていく側になれば良い」となるのは案外、自然に行きつく考え方なのかもしれません。
自分から去っていく方が気持ち的に楽?
仕事、恋愛、死別と、人との別れの状況は色々とありますが、見送ることよりも自分が去っていく方が精神面の寂しさの負担はいくらか軽くなると思います。
見送る側の人の心理
なぜ見送る方が寂しくなるのかというところから考えていくと、まず気持ちの整理が出来ていない状況で突然別れを知らされることになります。当然、覚悟が出来ていないので驚きが隠せず動揺します。まだ同じ環境で一緒にいると思い込んでいた自分の意思とは異なる出来事が起こり、それとともに残り時間が迫っているという事実を一方的に突きつけられることになります。
見送る側の人はこのような現実と多大な情報量が頭の中に一気に流れ込み、頭で整理されていく度に寂しさや悲しさが次々沸いて心が受け止めきれなくなってしまう、ということが考えられます。
▼見送る側の心理状況
◆覚悟がまだ出来ていない
◆突然に知らされる事実に驚かされる
◆自分の意思や感情で納得できない出来事がどんどん進んでいく
◆突然、制限時間が設けられる
去っていく側の人の心理
反対に自分が去っていく側の立場にいると、ある程度落ち着いて感情を整理することが出来るので急激な寂しさや悲しさに襲われることは比較的ありません。
自分の中で気持ちを整理することができ、自分のペースと決断で物事を進めることができることから、精神的なショックは比較的抑えられるのだと思われます。
▼去っていく側の人の心理
◆自分の意思で決断することができる
◆自分のペース、タイミングで話を進めることが出来る
自分の意思ではない死別の場合は例外として、アイドルの卒業のようにいつか分からないいずれくるお別れが決まっているときの「俺が先に辞めようかな」はその場から逃げ出したいという心理の表れなのかもしれません。
それぞれの心理状況で見えてくるのは、去っていく側の人は行動や決断が「自分のため」に繋がるということ。
仕事の退職でも恋愛でも、去ることを考えてしまうのはその関係や環境から離れたい理由があるわけで、去っていく方が自分にとっての正解な可能性があるからです。
細かい理由は自分が必要以上に傷つかないための選択だったり、今の環境のストレスから逃れるためだったりありますが、感覚的なものなので自分自身でも理解しきれていない部分もあるかもしれません。
いずれにせよ去っていく側として主導で物事を進めていくことは、自分が必要以上にツラくならないように、精神的負担を軽くするための自己防衛の一つとも考えられます。自分の心を守ろう行動なのです。
去っていくのは自分の心を守ろうするための行動なのかも
感情の動かない別れの心理とは
自分が去っていく決断するということは少なからず身近な人を悲しませたりツラい思いををさせたりと感情をかき乱すことになるのかもしれませんが、それは自分が周囲に愛されていて関係性が構築されていた場合の話です。
以下の場合は、別れの状況でも悲しみにうちひしがれるような感情になることは起こらないかもしれません。
◆関係性が浅すぎる
◆好感を持っていない
◆嫌い
◆冷めている
私自身も何度か退職を経験しましたが、感情が動く退職と何も動かなかった退職と両方経験しました。
退職した時に私の退職を惜しんでくれた職場では、尊敬できる上司もいて、話しやすい関係性や思い出も少なからずありました。だから自ら退職を決めたものの寂しさもあり、辞めた後も「ここに居たことは良い経験になった」と思えました。
しかし、もう一方の職場では関係性が希薄で思い入れもあまりなく、仕事に関しても苦痛な印象が多かったので、退職時は寂しさも感じずにあっさり退職を迎えました。
思い入れのない別れは感情も動かず寂しさで心が暗くなることはないのかもしれませんが、「なんだかなー」というスッキリしない感情が残りました。どうせ去る立場なら惜しまれた存在として去っていった方が素敵な記憶として残るような気はしました。
どうせ去っていくなら惜しまれる存在で
以上、見送る人の方が悲しみや寂しさが強くなる心理について考察しました。
見送る側の立場の人は、突然別れの事実を知らされることにより心の整理がつかず精神的ショックが大きくなります。
「自分から去っていく」という決断は、寂しさや悲しさのショックを軽減するための自己防衛の一つなのかもしれません。
自分が去っていくことに悲しんでくれる人がいるということは「惜しまれる存在だった」という証拠でもあります。
仕事でも恋愛でも、中には何も感情の動かない別れもあります。悲しさで潰れることはないのかもしれませんが、「これはこれでどうなの」と思ってしまうお別れの形です。
オードリーがラジオで「一緒に仕事をしていた人がいなくなっていくのは寂しい」と語っていたように、死んだときに誰かが泣いて悲しんでくれるように、別れが来るなら惜しまれる愛される存在として人生を歩んでいきたいなとは思った最近の脳内です。
追記:こんな記事を書いている途中でまた新たな卒業生が出ました。ああ…
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ありがとうございました