非合理な生き方の正当性を考えてみた。
まず、『非合理な人』が分かりづらいのでイメージしてみる
・直感型
・本能のまま
・自由奔放
・マイペース
・思い立ったら即行動
・後先考えない
・大胆に行動
・好きだからやる、やりたいからやる
・計算しない
・理屈で考えない
多少、偏見もあるけれどざっとこんな感じ。非合理な人は、その行動が正当かどうかなんてあまり考えない。
「自分の直感のままに、自分が行動したいように」が非合理
非合理な生き方よりは、理屈や効率を大切にする『合理主義』の人の方がうまく生きていけそうな気がするけれど、実際はどうなのだろう。
合理的な人は堅実に幸せな生き方を手に入れていそうだけれど、人生を楽しんでいそうなのは非合理な人な気がする。と思うのは自分だけか。
合理主義が正しいかのような令和
効率重視な令和は「効率・コスパ(コストパフォーマンス)・タイパ(タイムパフォーマンス)」で物事を評価する傾向があるから、なおさら合理主義の時代。 非合理を「感情論は無意味」「非効率」だと批判されることもある。
あらゆる(コンテンツ)娯楽や趣味が増えて、好きなものへの多様性が広がった今、「笑点」や「サザエさん」「笑っていいとも!」のような日本中の皆が観ている番組なんてなくなった。同じように、結婚することが当たり前、子供がいることが当たり前という価値観も薄くなってきている。
結婚は非合理?
『結婚』は合理・非合理で考えるとどちらだろう?
自分の時間の確保に忙しい令和の時代では、結婚は効率悪い(非合理)だろうか。
「非合理な行動」が、長期的なリターンを生むこともある
結婚は一見非合理。でも時間やお金以外にも価値はある。人間関係や心の安定、支え合いという無形資産を生む。
しかも長期的に考えた時、結婚により健康寿命、幸福度、老後のサポート体制など、とてもコスパの良い選択になり得る。実際に、生涯独身よりも既婚者の方が平均寿命が長いというそういった見方では、非合理が合理を超える充実がある。
結婚が人生を一変させることがある
いわゆる運命の出会いのような、感情で決めた人との出会いが自分のキャリアや価値観を一変させることがある。 「あのとき選択していなければ、今の自分はいないかもしれない」というやつ。
そう考えると、偶然という非合理が合理主義を超えることがある。「人間らしさ」や「深い幸福」を追うことは『本当の合理性』なのかもしれない。
子育ては非効率(非合理)か
子どもを育てるのにお金も時間もかかる。物価高で子供一人育てることさえ家計的にも苦しくなる。これはさすがにコスパタイパ重視の合理主義が勝つのではないか。(ここまで論理で考え出すといよいよ面倒なじじいになってきた感ある)
家族との時間が感情を育て、心を癒やす
子どもと遊ぶ、何気ない会話をする、家族一緒に何かを食べる。効率だけ考えたら全部非効率な時間かもしれないが、そこには
・感情が動く瞬間
・信頼が育つプロセス
・人生の意味を見出す場
心の充実が詰まっている。人って感情の生き物だから、感情の記憶の積み重ねがないと生きた実感がなくなってくる。
例えば、自分が病気になったり、心が折れたとき。家族は損得勘定なし、無条件に支えてくれる数少ない存在となる。人生の逆境にいる時、家族や子供は最強の支えになってくれることはある。これはお金や効率では買えない非合理な価値。
合理的に見たら家族ってめんどくさいし、時間も手間もかかるし、コスパ悪いかもしれない。でも人間は合理だけでは生きてない部分があるし訪れる。泣きそうなときに寄り添ってくれる誰か、失敗しても笑ってくれる場所、それが『明日を頑張れる理由』になる。
まとめ 非合理こそ人間らしさ
非合理な人は感情に動かされ、予測不能な行動をとり、失敗もする。時間やお金、効率など目に見える価値を大切にする合理主義からするとムダで非効率。しかし結婚や子供、誰かと人生を共にする時間は人間らしさを支える土台になる。
何でもない非合理な時間の積み重ねが、人生の豊かさや意味を形づくる。人生を振り返ったとき「あれがあってよかった」と思えるのは、効率よく出来たことよりもそういう時間。
合理が機能しない場面や状況は人生の中で必ず訪れる。病気、失業、心が折れたとき、社会との接点を失ったとき。その時、合理に勝るのは家族という無条件の存在。
短期的な合理性よりも長期の非合理。コスパは悪くてもかけがえのない価値になる。非合理であるがゆえの幸福。効率や損得では測れないものをくれる。
というのが今回の着地点。一概には言えないけど。



